日枝神社本殿(ひえじんじゃほんでん)1棟
指定番号
第27号
指定年月日
昭和63年9月19日
所在地
菅生町4892番地
承平元(931)年の創建と伝えられ、大山昨命(おおやまくひのかみ)を主祭神とする。神社縁起には、平将門が当社を尊崇して妙見菩薩(みょうけんぼさつ)を刻納したとされ、久しく妙見神社と呼ばれたという。戦国期に菅生城主菅生越前守胤貞が社を本城のある古谷に鎮斎するが、永禄2(1559)年に落城の後、別当木崎山天台座主阿闍梨賢證を奉り中郷の地に遷宮し、当地の総鎮守として信仰を集めたという。明治維新後は再び社号を日枝神社に改めている。
明治5(1872)年に再建されたもので、一間社流造(いっけんしゃながれづくり)、瓦葺であるが、傍軒(そばのき)大きいことから当初は木羽葺(こばぶき)であったものと推察される。当代きっての名工と謳われた後藤縫之助の手による豊富な彫刻群が特色で、「瓢箪(ひょうたん)から駒」、「神功皇后(じんぐうこうごう)の三韓征伐」などが飾られるほか、木鼻(きばな)の像や獅子など、その腕の冴えを見せている。桁行2.65メートル、梁間2.25メートル。