絹本著色了誉聖冏像(けんぽんちゃくしょくりょうよしょうげいぞう)1幅
指定番号
第24号
指定年月日
昭和62年10月1日
所在地
豊岡町乙2002番地
聖冏上人は、南北朝時代から室町時代初期の浄土宗の高僧で、号を酉蓮社了誉という。眉間(みけん)から新月のような光を放っていたと伝えられ、世の人からは三日月上人とも呼ばれていた。浄土宗の宗風を顕揚し、浄土宗は彼の活躍によりようやく寓宗(ぐうしゅう)の域を脱し、教団としての確立を見た。法性寺はこの聖冏の開基になるもので、高弟には増上寺を開いた聖総(しょうそう)、その門人には弘経寺を開いた了肇(りょうちょう)がおり、後の関東十八壇林の源をなした。
日本宗教史上重要な位置にあり、茨城の中世史あるいは文化史上においても貴重な人物を描いたもので、美術的にも高度な技法を駆使した優れた作品である。聖冏の特徴である三日月形を額に表し、曲彔(きょくろく)上に座して右手に払子(ほっす)を執っている姿を描く。肉身線を茶、衣文線を黒と全体的に色彩は淡いが、表現は精緻で、江戸時代前半の作と思われる。縦85センチメートル、横34センチメートル。