助け合い精神を説いた「不二道」の指導者
鈴木頂行 : すずき ちょうぎょう(みねなり)
安永8(1780)年ー文政8(1825)年
下総国水海道村宝洞宿(現・常総市水海道宝町)出身、通称・忠八
富士講と不二道(講)
富士講とは、富士山を信仰の対象として、これに参詣(登山)する民間信仰で、江戸時代に盛んに行われました。それ以前の富士登山は、修験者の修行のために行われることが多かったため、富士山に登る信仰を持つ富士講もその影響を受け、相互扶助・勤労奉仕の精神を主とするものでした。関東地方各地には富士講の手で、入山が禁じられていた女性や長旅が困難な人も参詣できる富士山を模した富士塚が作られました。
不二道(ふじどう)は富士講から分かれたもので、相互扶助・勤労奉仕などの道徳面に重きをおいたものです。
不二道の指導者として
鈴木頂行は安永8年、水海道村宝洞宿の商家・釜忠に生まれました。少年のころ既に石田梅岩(江戸時代の思想家・倫理学者)の提唱した石門心学を学んでいましたが、その後、小谷三志の不二講の教えに共感し、その門人となりました。
頂行は不二道の教えをまとめた解説書「勧善録」を著し、不二道の教えである相互扶助・勤労奉仕精神を説き広めました。不二道の信者はこの教えの実践の一つとして、道路や河川の普請改修にも参加しており、後に水海道町の商人たちが寄付金を集めて水海道小学校本館を建設した歴史も、この不二道の教えに影響されたところがあったのかもしれません。
遠く京都まで
「勧善録」と頂行らの活動は京都にも聞こえ、公家達を経由して光格天皇にも拝謁しました。その際に下賜された御衣や履物等の品が現在も残されています。
文政8年、自ら布教のため京都に向かう途中、東海道見附宿(みつけしゅく、静岡県磐田市)で病没しました。(享年47歳)