1842年から1909年 三坂新田出身、その後馬場に暮らす
明治政府修史局
聴覚障害を乗り越えて活躍した儒学・漢学者
秋葉猗堂は三坂新田の猪瀬家に生まれ、日本画家の猪瀬東寧は猗堂の兄にあたります。飯沼村の秋葉源次郎の嗣子(しし、跡取りの事)となり秋葉姓を名乗りました。秋葉家は村役人として様々な仕事をしており、役人の仕事のかたわら、文武の業を身につけていきました。幕末には幕府軍に加わり、県西から石岡周辺での戦いにも従事しています。
24歳の時、病により両耳の聴力を失ってしまいますが、障害にも負けず漢学などを修め、明治政府の官吏に抜擢されます。
明治政府の修史局で国史編纂事業に携わる等、歴史分野で活躍する一方、東京へ遊学する地元の子弟達の世話をする等、本人としての活躍だけでなく、常総地域の学問・文学の発展に大きな功績を残しました。