水害対策に尽力した国会議員
飯村五郎 1888年生まれ 1946年没
結城郡五箇村(現:川崎町)在住
水海道一高出身
衆議院議員 文部政務次官 立憲政友会茨城支部長
新政倶楽部結党幹事長 衆議院建議委員長 厚生参与官
衆議院議員:飯村五郎
明治21年、筑波郡真瀬村(現:つくば市真瀬)の飯野茂吉の二男として生まれました。幼少より優秀な成績を修め、水海道一高から帝国大学法学部を卒業し、弁護士として東京で事務所を構えていました。
その後縁あって結城郡五箇村(現:川崎町)の飯村家に養子となります。飯村家の飯村忠七は県議会議長を務めるなど県政で活躍した人物です。
1924年(大正13年)飯村五郎は第15回衆議院選挙茨城第8区へ立候補し見事当選しました。
その2年後の1926年(昭和3年)には普通選挙制が施行され、別名第1回普通選挙と呼ばれる第16回衆議院選挙が実施されます。この選挙に五郎は後の近衛内閣書記官長となる風見章と選挙戦を繰り広げ勝利を収めます。
飯村五郎は米内内閣の厚生参与官等の役職を勤め、積極的な政治活動を続けてゆきます。
五郎の活躍と吉野公園
飯村五郎が帝国議会にて積極的に働きかけた活動として、小貝川河川改修があげられます。
当時の小貝川は現在よりも湾曲しており、毎年雨の多く降ると氾濫の危険性が高い危険な川でした。帝国議会の議事録によれば、五郎自ら小貝川流域の惨状を具体的数字と共に伝え、早急な河川改修工事の必要性を訴えています。
五郎らをはじめとした茨城県政治家達の尽力により、見事小貝川河川改修事業は採択、川の形が矯正され、氾濫の危険性は以前よりも低下しました。
改修によりまっすぐになった小貝川から切り離された湾曲部分の一つが、上蛇町の吉野公園として現在も広く親しまれています。