千姫の墓(せんひめのはか) 1基
指定番号
第9号
指定年月日
昭和56年12月10日
所在地
豊岡町甲4番地1
千姫は、慶長2(1597)年4月11日、徳川家康の孫、2代将軍秀忠の子として伏見の第(てい)で生まれた。僅か7歳で豊臣秀吉の子秀頼に嫁ぎ、豊臣家の滅亡にあたり、大坂城から救出され江戸へと送られた。後に本多忠刻(桑名城主、後に姫路城主)に再嫁し、1男1女を儲けるが忠刻とも僅か10年で死別し、この後は落飾(らくしょく)して天寿院(天樹院は諡名[おくりな])と号し、江戸城北の丸の竹橋の屋敷で余生を送った。寛文6(1666)年に没した千姫は、徳川家の菩提寺である伝通院に葬られたが、落飾したときより当寺を菩提寺と定めていたため、弘経寺には遺髪が納められたとされる。千姫の墓(天樹院廟)は、本堂左手奥にあり、平成9年度の保存修理により、これまで伝えられてきた遺髪ではなく、遺骨が納められていたことが判明した。