累の墓(かさねのはか) 1基
指定番号
第23号
指定年月日
昭和59年3月15日
所在地
羽生町724番地
鶴屋南北の「色彩間苅豆(いろもようちょっとかりまめ)」や三遊亭円朝の「眞景累ヶ淵(しんけいかさねがふち)」などの怪談ものでしられる累の墓は、羽生町の浄土宗法蔵寺にある。累の話は、江戸時代初期、常総市を舞台に60年にわたって繰り広げられた、親が子を、夫が妻を殺害に至るという陰惨な出来事で、最後に死霊となって取り憑いた累と助を、当時、飯沼弘経寺(ぐぎょうじ)の遊獄庵にいた祐天上人が法力を以ってこれを解脱(げだつ)させたというのであるが、この話が怪談ものとして広く世に知られるようになったのは、150年後の「色彩間苅豆」が上演された文政4(1821)年のことといわれる。
また、祐天上人が死霊解脱供養に用いたという数珠(じゅず)、累曼陀羅(まんだら)、木像なども同寺に保存されている。