紫龍石の硯(しりゅうせきのすずり)1面
指定番号
第4号
指定年月日
昭和56年12月10日
所在地
豊岡町甲1番地1
暗紫色と淡茶色の二層からなる粘板岩を八角形に仕上げた硯で、硯面周囲には二頭の龍が彫刻されることから「 紫龍石」または「 双龍石」の硯と呼ばれる。中央に設けられた磨墨部は円形を成し、使用された痕跡がよく残る。墨池部は硯形と同じ八角形で、磨墨部を囲むように設けられる。縦32.6cm、横32.4cm、最大厚4.2cm、重量7.38kg を測る大形の硯である。
従来、朝鮮出兵によって日本にもたらされたとする言い伝えもあったが、それを裏付ける史料などはなく、弘経寺の寺史である『檀林弘経寺史』には「東照宮より天樹院様へ被進遺乃品也」とだけ記されており、この硯が徳川家康から孫の千姫に譲り渡されたものであることが分かる。
その石材については中国広東省端渓産と言われてきたが、最近、中国と北朝鮮の国境をなす鴨緑江沿岸から産出される渭原石との見解も示された。また、硯面に彫刻された龍が四爪であることも朝鮮の宮廷との関連性を伺わせるという。家康は豊臣秀吉の朝鮮出兵により断絶状態にあった朝鮮王朝との国交回復に努め、慶長十二年(1607)には朝鮮王宣祖の使節が訪れている。
二代将軍となった秀忠に江戸城で拝謁し、その帰路に駿府城で家康に面会した。朝鮮王からは人参など様々な贈答品があったことも徳川実記に記録されるが、家康からも使者に鎧や太刀、銀などが答礼品として贈られ、また、捕虜とされていた朝鮮人の帰国が実施されたことも記録される。紫龍石硯の記載は無いが、あるいはこの時に贈られた品とも考えられようか。彫刻も精緻で、意匠に優れた作品である。