文庫蔵 書院
旧坂野家住宅(主屋・表門・書院・文庫蔵)4棟
指定番号
建第1672号
指定年月日
昭和43年4月25日(主屋・表門)
令和5年9月25日(書院・文庫蔵)
所在地
大生郷町2037番地
概要
坂野家は、この地に土着してから五百年ほどになると言われ、享保10(1725)年に始まる飯沼新田開発では、地元の責任者である「頭取」に任ぜられるなど、この地方の有力な名主であったことが伺われる。その屋敷地は、1ヘクタールにおよぶ広大な台地全面に位置し、周囲に塀を巡らす。南面に配された表門(薬医門[やくいもん])は、本来、武家屋敷に設けられることを考えると、当時の坂野家の格式の高さが偲ばれる。平成10年に坂野氏より市が建物と屋敷地を譲り受けた。
主屋は、平成15〜18年に解体修理が行われ、その過程で増改築の変遷がほぼ明らかとなったことから、座敷部が増築されて形が最も整った天保9(1838)年の姿に復元された。18世紀初め頃に建てられたと考えられる居室部と増築された座敷部からなり、居室部の木割の大きい柱・梁で構成された架構は豪壮で意匠も優れており、また、「広間」前面の柱間二間には蔀戸(しとみど)が吊られ、その上に欄間(らんま)を設ける。この蔀戸と欄間による立面意匠は、この地方では例を見ない。座敷部は、南から「一の間」「二の間」「三の間」と呼ばれ、「二の間」東側には式台付の玄関、「一の間」には床・棚、「二の間」には床が設けられ、境には透彫りの欄間を入れ、長押(なげし)には釘隠を打つなど豪農住宅の客間としてよく整えられている。
大型住宅として数少ない遺例であり、表門及び塀とともに豪農の屋敷構を伝えている。
書院は、大正9年の建築。大生郷地域における文人墨客の活動拠点となった施設で、材料、意匠ともに秀でた上質な近代和風の座敷棟として評価される。