長塚節生家(ながつかたかしせいか)
指定番号
史第7号
指定年月日
昭和30年6月25日
所在地
国生1147番地1
長塚節は、明治12(1879)年4月3日に父源次郎、母たかの長男として生まれた。茨城県尋常中学校(現水戸一高)に入学するが、4年に進級間もなく病を得て帰郷する。以後は、節といえば旅姿を想い起こさせるように、旅を志し、自然の美を探勝しながら療養に努めた。明治33(1900)年に正岡子規の門に入り、歌人として多くの作品を遺すとともに、写生文、小説の執筆にも創作活動の幅を広げ、明治43(1910)年には、夏目漱石の推せんにより、小説『土』を東京朝日新聞に発表、当時の農民の生活を克明に描いた不朽の名作として、今日も高く評価されている。大正4(1915)年、旅先の九州大学附属病院で36歳で没する。
その生家は、南道路に面して桁行(けたゆき)17.5メートル、梁間(はりま)5.5メートルの瓦葺の長屋門が建ち、門を入ると正面に南面して茅葺の主屋が建っている。屋敷の規模は、祖父の久右衛門の代、江戸時代末から明治初年頃にかけて整ったものと見られる。主屋は、桁行9間、梁間6.5間の母屋と西側に桁行5間、梁間5間の書院を突出部として接続した規模の大きな建物である。屋敷は中央に主屋、書院を配し、長屋門、庭園、竹林などが周囲を取り巻いており、節の真摯な文学活動を偲ぶにふさわしいものがある。文学関係遺跡の少ない茨城県においては、史跡として意義深いものであると言える。
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