更新日:2018年10月19日

風見章

戦後の国交回復に尽力した郷里の政治家

1886年生まれ 1961年没

豊田郡水海道町出身

第1次近衛内閣書記官長 第2次近衛内閣法務大臣 日中国交回復国民会議理事長

 

生い立ち〜政界進出以前

 風見章は豊田郡水海道町の農家に生まれました。旧制水海道中学校(のちの県立水海道第一高等学校)に進学し、同校の第1回卒業生となっています。その後、早稲田大学予科に入学し、雄弁会に所属しました。予科を卒業後、本科に進学し、早稲田大学政治経済学部政治学科を卒業しました。

 大学卒業後は、大阪朝日新聞社・国際通信社に勤務した後、信濃毎日新聞社に勤め健筆を振るいました。

 

政界進出後の活躍

 1930年(昭和5年)第17回総選挙に当選し、民政党に属しましたが、翌年に脱党し、国民同盟に参加しました。

 1937年(昭和12年)に第1次近衛内閣が成立し、内閣書記官長に迎えられましたが、内閣の退陣に従って野に下り、無所属代議士となったのち、第2次近衛内閣の法務大臣として再び入閣しました。

 しかし、「国内体制の刷新」と「強力な新政治体制の確立」をうたった「新体制運動」を推進しますが、5ヶ月で法務大臣を辞任し、翌年の選挙には立候補せず政界を退いて敗戦を郷里の水海道で迎えました。

 公職追放解除ののち、1952年(昭和27年)の第25回総選挙に無所属から立候補し政界に復帰しました。その3年後には左派社会党に入り、国際貿易の促進、日中国交回復国民会議理事長を務め国交の回復に力を尽くしました。

 

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