更新日:2017年5月30日

地域交流センター館内案内(6階デジタル展示室、長塚節関係)

音と映像で現代に甦る、長塚節の世界

常総市を代表する郷土作家─長塚 節(ながつか たかし)。

若くしてこの世を去った節は晩年、自らの足で各地を旅し、自らの目で見たその景色を、多くの短歌に残しました。

このデジタル展示室では、節の残した短歌の中から厳選した7首を、5つのテーマにのせて、その世界観を現代に甦らせます。

」─自然を「よくみる」と普段見えないものが見えてくる

」─節が好んだ「白」と「爽快感」

」─子規と節の絆

」─純愛

」─「なにが大切か」を知る

展示室全体を彩る音と映像で流麗に描かれた、心象細やかな節の短歌の世界を、ぜひご覧ください。

長塚節(ながつかたかし)

明治12年4月3日、茨城県岡田郡国生村(現、常総市国生)に父 長塚源次郎と母 たかの長男として生まれました。
3歳のときに、いろはを詠み、百人一首の暗唱をするなど幼い時から神童振りを発揮しました。
国生尋常小学校から下妻高等小学校(今の中学校)を経て、明治26年に茨城尋常中学校(今の水戸一高)に進みますが、4年生に進級後病気になり中途退学しました。
中学校をやめてからは実家に帰り、家の周りの草花など自然にしたしみながら和歌を作ったり、旅をしたりして健康回復に努めました。
明治31年「新小説」の第8回懸賞和歌に、初めて公表した作品

「惜しまるる花のこずえもこの雨の晴れてののちや若葉なるらむ」

が4等に入選しました。
明治33年には、歌人の正岡子規に入門し、根岸短歌会の機関紙「馬酔木」の同人として活躍し、この頃からよく全国各地を旅行するようになりました。
明治41年に「野菊の墓」の作者伊藤左千夫らと「アララギ」を創刊し、短歌から写生文そして「芋掘り」などの短編小説を「ホトトギス」などに発表しています。
また、明治43年6月13日から朝日新聞に貧しい農民の生活を物語にした長編小説「土」を151回連載し、「我が輩は猫である」の作家夏目漱石に激賞されました。
翌44年4月には、結城郡山川村山王(現、結城市)の医師黒田貞三郎の長女てる子(22歳)と婚約が成立し、「われ33年にしてはじめて婦人の情味を解したり」と喜びましたが、12月に喉頭結核に罹り、婚約を解消しました。この頃、有名な231首の短歌を詠んだ「鍼の如く」を作成しています。
残念ながら大正4年2月8日、病気により福岡県の九州大学付属病院で36歳の若さで亡くなりました。 

小説「土」執筆ゆかりの部屋の復元

地域交流センター6階部屋の復元

地域交流センター6階部屋の復元 節は、正岡子規の指導を受けることを願い、明治33年3月27日に東京下谷区上根岸の子規宅を訪問し、入門しました。
この子規との出会いが、短歌から写生文・短編小説までの幅広い作歌(家)活動へつながりました。
明治43年から小説「土」の執筆に取り組みますが、自宅だけでなく岡田村立岡田尋常小学校(現在の岡田文化センター所在地)の図書室を借りて原稿を書いたりもしました。友人宛の書簡に「学校での子供達がさわぐ声も聞こえるが、やかましいとも思わずにひたすら原稿の執筆にふけっている。」と図書室でのことを書いています。
室内に置かれた荒削りの粗末な机が、当時を物語っています。
この部屋は、昭和52年10月に明治期の図書室部分の古材を使用し復元し、石下町民俗資料館(現常総市民族資料館)に展示保存していたものを地域交流センターに移設したものです。 

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